In Memoriam

Kimmo & Ritva Juutilainen

5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。

5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。

5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。

5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。

5:6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。

5:7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

5:8 私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。

5:9 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。

5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

5:11 こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。

5:12 私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありません。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく、うわべのことで誇る人たちに答えることができるようにさせたいのです。

5:13 もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。

5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

コリント人への手紙第二、第5章

『 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。

コリント人への手紙第二, 5:1

2020年の春に母リトバにはすい臓癌が見つかりました。抗癌剤治療の後、秋に受けた手術は成功しましたが、年を越した後に癌が転移しているのが見つかりました。癌はさらに広がり、2021年1月25日に父キンモの付き添いのもと、母はハメーンリンナ市にあるKoivikkokotiというホスピスに入りました。

 

その翌日に、父は脳梗塞で倒れ病院に運ばれました。その夜には父はまだ話すことができましたが、翌日の朝には意識がなくなりました。父の最後の言葉は「心配ないよ。」でした。こんな状況の中でも「心配ないよ。」と言えるのはなんという慰めでしょうか。

 

父は母のいるホスピスに移動となり、1月30日に妻リトバと愛する家族に看取られて亡くなりました。父と母が長年共に捧げた祈りである、同じ時に永遠の御国に旅立ちたいという祈りは誰も想像しえなかった方法で叶いました。その場には悲しみと寂しさと、同時に喜びと安堵がありました。

父には、独りで、もしくはその場にいる人と朝の礼拝を持つ習慣がありました。1月24日の朝に家族と持った朝の礼拝で、父は第2コリント5章を読みました。読み進める中で、父は何度か止まり、この箇所がどれだけ母リトバの状況と重なるかに驚いていました。彼はその箇所が、自分自身にもすぐに重なるということにまだ気付いていませんでした。

 

母リトバにはキンモが旅立った後にも2週間の時間がありました。彼女は徐々に弱っていき、最後の2日はもう話すこともできませんでした。家族やホスピススタッフには最後まで反応を示しました。2月13日の朝、母は生まれたばかりの孫の顔をビデオ通話で見ることができました。同日の深夜にアールネとタニヤに元気な男の子が生まれました。

 

母リトバは、誕生して間もない男の子と対面をした数時間後に天国へ旅立ちました。人生のバトンを手渡して。

最後の数日