In Memoriam

Kimmo & Ritva Juutilainen

スピーチ    |  牧師  ヨルマ タイパレ

ユーティライネン リトバ・アルマとキンモ・カレビ
 

祝福と追悼のメッセージ

 

 

「人の子も、仕えられるためでなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」マルコの福音書10:45

 

私たちの救い主は、過越の祭りのためにエルサレムに上られた際にこのようにおっしゃいました。ヴィア・ドロローサに通じる苦しみと痛みの道は最終的に十字架で完結しました。それによって私たちは贖われ、神と和解をしました。 イエス様が歩まれた道を思い、私たちも生と死の大きな疑問の前で立ち止まります。誰もが必ず迎える人生の終わりや苦しみを受け入れることは簡単なことではありません。私たちは、リトバとキンモと共にもっと多くの日々と時間を一緒に過ごしたいと願っていました。

 

一方で、私たちは、この時の備えが既にできていました。 リトバは何年にもわたって多くの深刻な病気を乗り越えてきました。 私たちは、喜びや感謝、神の与えてくださる多くの奇跡を彼女と共に経験してきましたが、新しい年を迎える頃には愛する彼女の行き先が見え始めました。リトバ自身は、愛する人たちに囲まれ、神の恵みの御手の中で平安な残りの日々を過ごしました。その期間に、キンモが御国へ出発するという驚くべきメッセージが届きました。 キンモはリトバや子供たち、そして孫たちの近くに住む準備をし、共にこれからの計画を立てている最中でした。

 

あなた達を心から愛してくれていた母と父、祖母と祖父の出発は、あなた方の心に大きな空洞を残していることでしょう。私たち皆が、彼らを恋しく思っています。このような時にも私たちは聖書の言葉に慰められます。それは、まるでキンモとリトバの遺言のようです。あなたたちは少し前に、 第2コリント5章をキンモと一緒に読みました。

 

「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私達には天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。」この御言葉にある御国までのスタンバイ期間は残された人々には辛くとも、リトバとキンモの願いはかないました。彼らは共に天国での結婚式の祝宴に招かれました。

 

あなた方の悲しみが、如何に大きなものか、それは、ある瞬間、突然悲しみと恋しさが心を占めるのではないでしょうか。その一方で、私たちは、彼らを通して私たちの人生に与えられた全てのことに愛と感謝を感じます。 これらの感情はとても大切です。 思い出は悲しみを扱う上でとても重要です。 自分で思い巡らすことや、お互いに分かち合う中で、母親と父親、または祖母と祖父の子供時代からの人生を振り返ることも一つです。

 

キンモ・カレビは、1938年3月20日にオウルでアールネとトイニの間に生まれました。6人の子供が誕生し、そのうちの1人は早くに亡くなりました。ユーティライネンの血統は、オラヴィリンナの城壁を建てるためにやってきた、デンマークの建築専門家がルーツです。旧姓エエロラであるキンモの母親は、クーサモ教会の牧師の娘でした。また、キンモの父親アールネは、測量技師であり、彼の仕事の関係で、家族はミッケリに引っ越しました。そこで、キンモは子供時代と青年の時期の大半の時間を過ごしました。

 

家は街の真ん中に位置する、リコランピ湖畔の美しい場所にありました。キンモの弟マルッティは、キンモが、ボーイスカウトや若者を対象にした教会活動に、如何に活発だったかを教えてくれました。キンモの日曜日は、ミッケリ大聖堂に足を運ぶか、自宅のラジオ礼拝に参加するというライフスタイルをしていました。彼のミッケリでの趣味は、セールプレーン(水上飛行機)で、パイロットの道も考えていましたが、神の導きは違っていました。それでも、このような趣味は、彼の勇気や新しくエキサイティングなことにチャレンジする気質を示しています。

リトバ・アルマは1940年2月27日の冬戦争中に生まれました。今日はリトバの誕生日でもあります。彼女は避難中にフンッピラで生まれましたが、当時まだ戸籍登録教会としてヴァルケヤルビ教会があったため、彼女の出身地はヴァルケアヤルビとなりました。(現在はロシア領です。) リトバの父の親族であるウオスカイネンと母の親族であるキュッラスティネンは何年にもわたってヴァルケアヤルビに住んでいました。子供は8人兄弟で、そのうち2人はカレリアで幼い頃に亡くなりました。リトバは生粋のカレリア人で、その性質は、困難の中でも喜びと感謝の気持ちを持ち続けることに表れました。彼女の田舎での生活は、1940年の終わりにウオスカイネンが定住したエリマキから始まりました。

1950年代半ばに、リトバとライリの両方がポリオにかかった時に、人生は大きく変化しました。ライリの熱はおさまりましたが、リトバには障害が残りました。それでも、2人は支え合い、コトカでの学校教育を続けることができました。アパートは小さな賃貸アパートでした。ホームシックは、度々やって来ましたが、日本のヤスコで過ごしたあなた達はこの思いがよく理解できるでしょう。 リトバとライリの歩んだ教育の道は、それ自体がサバイバルストーリーであり、逆境の中でも子供たちの教育を大切にした両親の思いが伝わってきます。

リトバの成績は優秀でした。首席だった数学の能力は、恐らく多くの教育機関への道を開いたでしょう。そんな中でリトバは神学部を選びました。この選択の背景をすべて知っているわけではありませんが、いずれにせよ、学生時代に導かれたランギンコスキ教会とのつながりは、信仰を深める時期であり、深刻な病気にもかかわらず明るい未来を開き、人生に意味を与えました。

 

キンモとリトバは、キンモの陸軍予備将校学校時代にリトバの叔父が開いていた聖書会で出会い、1960年代、ヘルシンキでの学生時代にお互いを良く知るようになりました。どちらも学生会の主催する学生伝道の活動に活発に参加していました。彼らを後に宝の地への導いた宣教への思いにも火が付きました。彼らは神学の修士号を取得して卒業し、1967年の秋にエリマキ教会で結婚しました。翌年、若い夫婦はシベリア鉄道を使って日本へ出発しました。最初は、カンサンラヘトゥス宣教団体を通して、次にクルバヤ宣教団体を通して日本で働きました。フィンランドでの生活期間は、国内での宣教団スタッフとして、またサーミング聖書学校の教師として働き、キンモは校長としての役目も果たしました。

 

神戸、加古川、赤穂、養父、小豆島。これらの名前は居住地、学校の場所、教会の場所としてあなた方に馴染みのある名前でしょう。日本は、ユホ、マリヤ、ユッカ、マルコ、ヤルッコ、アールネ、あなたたちが生まれた地です。あなたたちは宣教生活を間近に感じて育ちました。実際、あなたたちは多くの点で共に宣教にかかわりました。そして、父と母の人生の中でどれほどの熱心な祈りと聖書研究があったかを見てきました。父親は、しばしば山に登り、主との静かな時間を持ちました。聖書と祈りは、日本でもフィンランドでも福音を伝えるためのすべての仕事の出発点です。

 

退職後も、彼らは自分たちが開拓した教会を支え、彼らが救いに導いた教会員と連絡を取り合いました。日本では、福音を延べ伝え、教会で働くことは容易ではありません。ですから、人生の中に神の恵みを見つけ、神に出会って歩む人が一人でも起こされると大きな喜びがあります。キンモは、1957年に信仰に目覚めて以来、御言葉を読むことは自分にとってとても大切なのだと語っていました。

 

キンモの人生において、聖書の正しい翻訳に関する熱心な研究は最後までとても重要でした。 この研究の鍵は、聖書の聖なる数字である7に関してでした。また、キンモのビジョンは、人々にオープンに接し、福音を延べ伝えることでした。 それは、彼の賜物でもありました。 それは日本を去る時に終了したのではなく、退職後に過ごしたエリマキや、キンモが動く所どこにおいても成されました。

 

リトバは、心優しい伴侶、母親として私たちの心に残っています。 彼女はまた、すぐに心を打ち解けて交われる、人々の良き聞き手でありカウンセラーでもありました。リトバは時々、我が家の扉は、日本人宣教のためにもいつも開かれていると話してくれました。日本人の方たちに、どれほど家庭生活の中でお互いが大切であるか、仕え愛すること、そして何よりもまず、謝ることや赦すことを伝えたいと望んでいました。

 

あなた達子供達、そして孫達は、母と父、または祖母と祖父に感謝の思いを抱いているでしょう。あなた達は、彼らにとってとても大切な存在でした。 彼らは、あなた達に会うために長距離走ることすら厭いませんでした。旅の後には、会ってきた家族の状況をよく話してくれました。 そして最も素晴らしかったことは、 最年少の孫になる、アールネとタニヤの男の子が、リトバが亡くなった
日に誕生した事です。 新しい命の奇跡が、そのようになされました。 リトバは、生まれたばかりの赤ちゃんを、ビデオ通話を通して見ることができました。 リトバとキンモはあなた達を愛し、あなたのために祈り続けました。 彼らは、人生で価値あるもの、彼らにとって大切だったものである信仰、神が全ての人に与えた恵みや平等、自然を愛する心、他にも多くのことがあなた達にも価値のあることとなるように願っていました。 キンモ、そして確かにリトバの遺言でもある第2コリント5章は読み続ける価値があります。「、、、私達には天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」

 

イエス様は、天に戻られる時に、私たちのために場所を用意しにいくとおっしゃいました。 私たちにはもう、手放す必要のない家が天に準備されています。 私たちが、神の恵みによって人生の旅をする時、和解し贖われた神の子供として、
私たちは神の元に帰ることができます。 家へ続く道は、恵みの道です。 父と母であり、祖父と祖母である彼らの遺言はこれを約束しています。

 

私たちの愛するリトバ・アルマとキンモ・カレビを神の恵みの御手に委ね、願います。「偉大なる神よ、彼らを迎え入れてください。彼らを迎え、そこで憩わせてください。 彼らを御国に迎え入れてください。彼らを終わりのない喜びへと迎え入れてください。」 アーメン。

ハットゥラ教会 2021年2月27日

ヨルマ タイパレ(リトバの妹の夫)